カテゴリー: 職場の悩み

  • 人付き合いが苦手だ

    こんなブログを書いておいてなんだが、俺は人付き合いが苦手だ。

    人と話すのも、仲良くなるのも、接客するのも苦手だ。

    ただ、できる。

    それだけだ。

    長く夜の世界にいると、人と話すのが得意で、人付き合いが好きだと思われることもある。

    でも、実際は違う。

    むしろ苦手だからこそ、人をよく見るようになったのかもしれない。

    この人は何を考えているんだろう。

    なぜ今、こんなことを言ったんだろう。

    なぜこの人は怒ったんだろう。

    なぜ、この人は人から好かれるんだろう。

    そんなことを考えているうちに、人間そのものを観察するようになった。

    人付き合いについて考えれば考えるほど、

    「やっぱり人付き合いって苦手だな」

    と思う。

    でも同時に、

    「人間って面白いな」

    とも思う。

    矛盾しているようだけど、俺にとっては両方とも本当だ。

    人が好きだから、人と付き合うのが得意なわけじゃない。

    人付き合いが苦手だからこそ、人を見てしまう。

    そして、考えれば考えるほど苦手になる。

    考えれば考えるほど、面白くなる。

    だからたぶん、これからも人を見続けるんだと思う。

  • 夜の世界は魅力的?

    俺は一度、夜の世界を離れて、別の仕事をしていた時期がある。

    その経緯については、また別の記事で書こうと思う。

    夜の仕事を辞めるとき、当時お世話になっていた先輩に言われたことがある。

    「お前は必ず、また夜に戻ってくるよ」

    その先輩は、すでに独立していて、夜の仕事からは離れていた。

    だから俺は、

    「なんでですか?」

    と聞いた。

    すると先輩は、

    「なんだかんだいって、夜の世界は刺激的だろ?」

    「今はそれが普通になってるだけで、離れたら気づくよ」

    と言った。

    そのときは、正直よく分からなかった。

    夜の世界を離れて、別の仕事をする。

    それも悪くないと思っていた。

    ところが俺は、見事にすぐ夜の世界に戻ってきた。

    先輩の言った通りだった。

    離れてみて初めて、

    「ああ、俺はこの世界が好きだったんだな」

    と気づいた。

    夜の世界には、普通の仕事ではなかなか出会わない人がいる。

    普通の仕事では経験しないような出来事もある。

    毎日、いろいろな人間を見る。

    刺激的だ。

    もちろん、大変なこともある。

    楽な仕事だなんて思ったことはない。

    それでも、俺にとっては魅力的な世界だった。

    ずっとその環境にいると、それが当たり前になる。

    だから、その魅力に気づかなくなることもある。

    離れてみて初めて分かることがある。

    あのとき先輩が言った、

    「離れたら気づくよ」

    という言葉。

    今になって、その意味がよく分かる。

    普通の会社で働いた感想については、また別の機会に書こうと思う。

  • 仕事と遊びどっちが大事?

    仕事と遊び、どっちが大事?

    答えは、遊びが大事だ。

    好きなことが仕事になっている人や、仕事と遊びの境界線がない人は、そもそもこんな疑問を持たないだろう。

    「仕事と遊び、どっちが大事?」

    そう考えるということは、

    遊びは楽しい。
    仕事は大変。

    そんな区別がついている人なんだと思う。

    では、そんな人に俺は言いたい。

    大事なのは、遊びだ。

    そのために仕事を頑張ればいい。

    遊ぶにもお金がいる。

    遊びをより良いものにするのにもお金がいる。

    旅行に行く。
    うまいものを食べる。
    いいホテルに泊まる。
    好きなものを買う。

    何をするにも、ある程度のお金は必要だ。

    そして、普段仕事を頑張っているからこそ、休みの価値も上がる。

    毎日遊んでいたら、それが当たり前になる。

    でも、一生懸命働いた後の休みは楽しい。

    だから、

    遊びを充実させるために仕事をする。

    俺は、それでいいと思う。

    「自分のために仕事を頑張る」

    そう思えれば、辛い仕事でも、もう少し踏ん張れる。

    会社のためでもない。
    上司のためでもない。

    自分が楽しく遊ぶためだ。

    そう考えたほうが、仕事も少しは頑張れるんじゃないか。

    仕事が人生のすべてじゃない。

    遊ぶために働く。
    働いたら遊ぶ。

    その繰り返しでいい。

    みんな、遊ぼうぜ!

  • 悩み相談

    悩み相談の「悩み」って、本当に悩みなのか?

    悩み相談を受けていると、いろいろな相談がある。

    「AとB、どちらにするべきだと思う?」

    こういう悩みなら、比較的答えは出しやすい。

    それぞれのメリットとデメリットを考えて、一緒に整理してあげればいい。

    でも、中にはそうじゃない悩みもある。

    本当は、心の中ですでに結論が出ている。

    自分では、どうしたいのか分かっている。

    それなのに決断できない。

    そういう人も結構いる。

    それは、選択肢で悩んでいるというより、

    「怖い」

    「失敗したらどうしよう」

    「この選択で本当にいいのか」

    そんな不安や恐怖で、一歩が踏み出せないだけなのかもしれない。

    そういうときに、

    「じゃあ、こっちにしなよ」

    と答えを出してあげることが、本当に相談に乗るということなのか。

    俺は、それだけじゃないと思う。

    その人が本当は何をしたいのかを一緒に整理して、

    「お前はもう答え分かってるんじゃない?」

    と気づかせてあげる。

    そして最後に、

    「大丈夫。やってみればいいよ」

    と背中を押してあげる。

    それも、相談に乗るということなのかもしれない。

    悩みを解決することだけが、相談に乗ることじゃない。

    一歩踏み出す勇気を与えることも、相談に乗るということなのだと思う。

  • 時間にルーズな人どう思う?

    俺は、時間にルーズなやつが嫌いだ。

    あまり付き合いたくない。

    時間にルーズな人間は、人の時間を奪うことに抵抗がない。

    「何が悪いの?」

    「ちょっと遅れたくらいで」

    そういうことを言う。

    でも、それは自分の時間を基準にしているだけだ。

    待たされる側には、その時間がある。

    5分でも10分でも、相手はその時間を使って待っている。

    つまり、人の時間を安く見ているわけだ。

    俺はそこが嫌いだ。

    時間なんて、誰にとっても同じように過ぎていく。

    金なら稼げる。

    失った物なら買い直せる。

    でも、過ぎた時間は戻ってこない。

    だから俺は、時間を守ることを大事にしている。

    別に、1秒たりとも遅れるなと言っているわけじゃない。

    電車が遅れることもある。

    どうしても予定通りにいかないことだってある。

    そういうときは仕方ない。

    大事なのは、相手の時間を大切にするという意識があるかどうかだ。

    遅れるなら連絡する。

    待たせたなら謝る。

    それくらいは当たり前だと思う。

    時間にルーズな人間と付き合っていると、少しずつストレスが溜まっていく。

    そして俺は思う。

    時間を大切にできない人間は、人との約束も軽く考えているんじゃないか、と。

    だから俺は、時間にルーズな人とはあまり付き合いたくない。

    単に「遅刻するから嫌い」なんじゃない。

    人の時間を大切にしないという、その価値観が嫌いなんだ。

    俺にとっては、時間を守ることは礼儀というより、

    相手を大切にしているかどうかの問題だ。

  • 人によって態度を変える人が嫌い?

    人によって態度を変えるのは、何が悪いのか?

    「人によって態度を変える人は嫌い」

    そんなことを言う人がいる。

    でも、俺にはいまいち分からない。

    人によって態度を変えるのなんて、当たり前じゃないか。

    立場も違えば、年齢も違う。

    関係性も違う。

    仕事上の付き合いなのか、友人なのか、家族なのか。

    それなのに、全員に同じ態度で接するほうが不自然じゃないかと思う。

    「人によって態度を変えない」

    という人に聞いてみたい。

    相手が総理大臣でも?

    自分の親でも?

    ヤクザの組長でも?

    弟でも?

    仕事場の社長でも?

    近所の幼稚園児でも?

    本当に全部、同じ態度なのか?

    俺は違うと思う。

    当然、区別する。

    それは相手によって媚びているという話ではない。

    人間関係には、それぞれの距離感や立場がある。

    目上の人に敬語を使う。

    子供には子供に合わせて話す。

    仕事では部下と上司で接し方が違う。

    当たり前だ。

    問題なのは、

    「人によって態度を変えること」

    ではない。

    俺が嫌いなのは、

    「自分より立場が弱い人間にだけ、偉そうにする人」

    だ。

    上司にはペコペコする。

    金持ちにはヘラヘラする。

    権力のある人には何も言えない。

    なのに、部下や店員には偉そうにする。

    これはカッコ悪い。

    でも、ここで一つ思うことがある。

    「立場の弱い人に偉そうにされるのが嫌だ」

    という人がいる。

    じゃあ、自分の立場を上げればいい。

    もちろん、そんな簡単な話ではない。

    でも、人に舐められたくないのであれば、自分自身が強くなるしかない。

    仕事ができるようになる。

    結果を出す。

    お金を稼ぐ。

    人から信用される。

    自分の価値を上げる。

    そうやって、自分の立場を作っていけばいい。

    誰にでも同じ態度で接することが、立派な人間だとは俺は思わない。

    相手によって態度を変える。

    それ自体は普通のことだ。

    大切なのは、

    「誰に対して、どういう態度を取るのか」

    だと思う。

    俺は、立場の強い人には媚びへつらい、弱い人には偉そうにする人間が嫌いだ。

    逆に、立場が上の人にも礼儀を持ち、立場が下の人にも敬意を払える人はカッコいいと思う。

    人によって態度を変えるな、ではない。

    人によって態度を変えるなら、

    せめて自分が恥ずかしくない変え方をしろ。

    俺はそう思う。

  • 凡人だったのに、気づけば偉くなっている人の特徴

    凡人だったのに、気づけば偉くなっている人の特徴

    世の中には、昔は本当に普通だったのに、気づけば偉くなっている人がいる。

    部長になっていたり、会社の幹部になっていたりする。

    昔を知っているだけに、

    「え、この人が?」

    と思うこともある。

    でも、そういう人を見ていると、ある共通点がある。

    とにかく、会社を辞めずに頑張り続けている。

    本当に凡人だった。

    特別ギラギラしていたわけでもない。

    仕事がものすごくできたわけでもない。

    仕事ぶりも普通。

    でも、辞めなかった。

    コツコツ働き続けた。

    それだけだ。

    一方で、途中で辞めていった人には、あるタイプが多かった。

    半端に頭がよくて、自己評価が高い人。

    こういう人は見切りも早い。

    「この会社にいても成長できない」

    「自分はもっと評価されるべきだ」

    そう考えて、さっさと辞めていく。

    もちろん、それが悪いとは言わない。

    本当に環境を変えたほうがいい場合もある。

    転職して成功する人も当然いる。

    ただ、その後どうなったのかは、俺には分からない。

    でも、辞めずにコツコツ頑張った人がどうなったかは知っている。

    出世している。

    なぜか。

    単純な話だ。

    半端な人たちが次々と辞めていくから、ポストが空く。

    そこに、ずっと残って頑張っていた人が入っていく。

    最初は同期の中で目立たなかった人が、いつの間にか上司になっている。

    そんなことは、珍しくない。

    会社というのは、入社したときの能力だけで勝負が決まるわけじゃない。

    10年、20年と続けていれば、環境も人も変わる。

    自分より上にいた人が辞める。

    異動する。

    定年を迎える。

    そして、ポストが空く。

    そのときに残っている人間が誰なのか。

    それが大きい。

    「石の上にも三年」という言葉がある。

    今の時代には古い考え方だと思われるかもしれない。

    嫌な会社なら、無理して居続ける必要はない。

    それはその通りだ。

    でも、コツコツ続けることをバカにしてはいけないと思う。

    才能がある人。

    頭がいい人。

    要領がいい人。

    そういう人が、必ず最後まで残るとは限らない。

    むしろ、特別な才能がなくても、腐らず、逃げず、淡々と続けた人が、気づけば一番上にいることもある。

    結局、長く続けた人にしか見えない景色がある。

    最初は凡人だった。

    でも、辞めなかった。

    それだけで、いつの間にか偉くなっていた。

    コツコツも、バカにできない。

    俺はそう思う。

  • 仕事で失敗したらどうする?

    失敗しない人より、失敗から立ち直る人

    俺自身、失敗は何度もしてきた。

    独立して、4000万円の負債を抱えたこともある。

    普通に考えれば、かなりの失敗だ。

    それでも、俺は腐らなかった。

    なぜか。

    怒りを原動力にしてきたからだ。

    失敗する。

    怒られる。

    叱責される。

    時には、みんなの前で吊し上げられる。

    そんなことも何度もあった。

    そのたびに、

    「今に見てろ」

    「今に黙らせてやる」

    そう思ってきた。

    悔しかった。

    腹が立った。

    だから、その怒りをそのまま終わらせずに、次に進むためのエネルギーに変えてきた。

    失敗したら、二度と同じことで怒られたくない。

    だから勉強する。

    考える。

    原因を分析する。

    計画する。

    そして実行する。

    うまくいかなければ、また改善する。

    勉強する。

    また実行する。

    失敗する。

    そして、また考える。

    その繰り返しだ。

    別に、会社のために頑張っていたわけじゃない。

    もっと言えば、立派な目標があったわけでもない。

    ただ、

    「また同じことで怒られるのが嫌だ」

    それだけだった。

    だから、同じ失敗をしないように必死になった。

    もちろん、それでも失敗する。

    人間だから、何度でも失敗する。

    でも、一度失敗したことで、次に同じ失敗をしないようになれば、その失敗には意味がある。

    俺はそう考えている。

    失敗したときに大事なのは、失敗しなかったことにすることではない。

    言い訳することでもない。

    誰かのせいにすることでもない。

    「なぜ失敗したのか?」

    を考えることだ。

    そして、

    「次はどうすれば失敗しないのか?」

    を考える。

    それを実行する。

    また失敗する。

    また改善する。

    そうやって少しずつ前に進んでいけばいい。

    世の中には、失敗しない人がいるように見える。

    でも、本当に失敗していないのだろうか。

    もしかしたら、失敗を表に出していないだけかもしれない。

    俺は、失敗しない人よりも、失敗した後にどうするかのほうが大事だと思っている。

    失敗したときに腐る人もいる。

    誰かのせいにする人もいる。

    「自分には無理だった」と諦める人もいる。

    一方で、

    「今に見てろ」

    と立ち上がる人もいる。

    俺は、ずっと後者だった。

    別に、怒りを原動力にすることが正しいと言いたいわけじゃない。

    もっと前向きな理由で頑張れる人もいるだろう。

    ただ、俺の場合はそうだった。

    悔しい。

    腹が立つ。

    見返してやりたい。

    その感情が、自分を動かしてきた。

    そして、いつの間にかそれが自分の成長につながっていた。

    失敗は、できればしたくない。

    怒られるのも、叱責されるのも、吊し上げられるのも、もちろん嫌だ。

    でも、失敗したことを無駄にする必要はない。

    悔しさも、怒りも、全部使えばいい。

    それを次に進むための力に変えればいい。

    そして、いつか振り返ったときに、

    「あの失敗があったから、今の自分がある」

    そう思えれば、それでいい。

    失敗しない人生なんて、たぶん面白くない。

    大切なのは、

    失敗した後に、どう立ち上がるかだ。

    俺はこれからも、失敗したら考える。

    勉強する。

    改善する。

    そして、またやる。

    結局、

    「今に見てろ」

    その気持ちは、今でも俺の中にある。

  • 出会いで大きく変わることもある

    誰もが、人から好かれたいと思うだろう。

    嫌われたいと思って生きている人は、そう多くない。

    仕事でも、友人関係でも、恋愛でも、周りから好かれている人は何かと得をする。

    応援してもらえる。

    困ったときに助けてもらえる。

    何かに挑戦するとき、「あの人なら頑張ってほしい」と思ってもらえる。

    では、人から好かれ、応援してもらえる人になるためには、どうすればいいのだろうか。

    夜の世界では、それがもっと分かりやすい。

    キャストは、お客様から好かれなければ指名につながらない。

    もちろん、見た目や会話、サービスなど、いろいろな要素がある。

    でも、長く指名される人や、周りから応援される人には、ある共通点がある。

    愛嬌だ。

    愛嬌って、結局なんなのか?

    「愛嬌」という言葉は、誰でも一度くらい聞いたことがあると思う。

    「あの子は愛嬌がある」

    「あの人は愛嬌がない」

    なんとなく意味は分かる。

    でも、「じゃあ具体的に何をすれば愛嬌がある人になれるの?」と聞かれると、意外と答えられない。

    みんな、なんとなくニュアンスで使っている。

    そこで辞書を調べてみる。

    愛嬌には、にこやかで可愛らしいこと、ひょうきんで憎めないこと、相手を喜ばせるような言動などの意味がある。

    ここで面白いのが、

    「ひょうきんで、憎めない」

    という部分だ。

    つまり、愛嬌のある人というのは、必ずしも完璧な人ではない。

    ちょっと失敗する。

    ちょっと抜けている。

    ちょっと生意気。

    でも、なぜか憎めない。

    そういう人だ。

    失敗しても「応援したい」と思われる

    愛嬌を考えるうえで、ここが一番大事なんじゃないかと思う。

    人から好かれる人は、失敗しない人ではない。

    むしろ、失敗した姿さえも「なんか可愛いな」「頑張ってるから応援してあげたいな」と思ってもらえる人なのではないだろうか。

    例えば、幼稚園児が運動会のかけっこのために、何日も一生懸命練習していたとする。

    そして本番。

    スタートして、一生懸命走って、ゴールを目指す。

    ところが途中で転んでしまった。

    それを見て、

    「なんで転んだんだ」

    「ちゃんと走れよ」

    と責める人は、ほとんどいないだろう。

    むしろ、

    「頑張れ!」

    「あと少し!」

    と応援したくなる。

    転んだことよりも、そこまで一生懸命やってきたことを知っているからだ。

    逆に、何も練習せず、当日も適当に走って転んだとしたらどうだろう。

    同じ「転ぶ」という失敗でも、受け取られ方はまったく違う。

    ここに、愛嬌の正体があるような気がする。

    一生懸命やること

    愛嬌を身につけるために、笑顔の練習をしたり、話し方を変えたりすることもできる。

    でも、それだけではない。

    もっと根本的なところにあるのは、

    一生懸命やること。

    そして、

    その一生懸命さが相手に伝わっていること。

    これが大事なんだと思う。

    一生懸命やっている人が失敗すると、

    「残念だったな」

    で終わらない。

    「次は頑張れ」

    「手伝ってやろうか」

    「もう一回やってみよう」

    と、周りの人が手を差し伸べたくなる。

    それは、その人が完璧だからではない。

    むしろ、完璧じゃないからこそ応援したくなる。

    夜の世界では、これがよく見える

    夜の世界で仕事をしていると、いろいろな人を見る。

    キャストもそうだ。

    仕事ができる人もいれば、不器用な人もいる。

    最初から何でもできる人もいれば、失敗ばかりする人もいる。

    でも、不器用でも一生懸命やっている人には、周りが手を貸す。

    「あの子、頑張ってるから」

    そう言って応援してくれるお客様もいる。

    逆に、どれだけ器用でも、適当に仕事をしている人には、なかなか人がついてこない。

    結局、人は能力だけを見ているわけではない。

    「この人を応援したい」と思えるかどうか。

    そこが大きい。

    愛嬌は「媚びること」ではない

    ここは間違えやすいところだ。

    人から好かれたいからといって、誰にでも媚びればいいわけではない。

    相手の顔色ばかり見る。

    何でも「はい」と言う。

    嫌われないように、自分を作る。

    それでは疲れてしまう。

    そして、長く続かない。

    愛嬌というのは、相手に好かれるためのテクニックというより、その人の人間味から自然に出てくるものなのだと思う。

    少しくらい失敗する。

    少しくらい抜けている。

    それでも一生懸命やっている。

    そんな姿を見たとき、人はその人を応援したくなる。

    報われなくても、一生懸命やる

    もちろん、一生懸命やったからといって、必ず報われるわけではない。

    頑張っても評価されないことはある。

    誰にも気づかれないこともある。

    応援してほしいと思って頑張ったのに、誰からも応援されないことだってある。

    でも、それでもいい。

    前の記事でも書いたように、最後は自分の中にあるポリシーや美学の問題だと思う。

    自分が「こうする」と決めたからやる。

    誰かに褒められるためではない。

    誰かに認めてもらうためでもない。

    自分の中のボーダーや美学に従って、

    「これはやる」

    と決めたからやる。

    それなら、誰にも気づかれなくても迷う必要はない。

    そのまま進めばいい。

    一生懸命な人には、自然と人が集まる

    人から好かれるために、無理に「いい人」になる必要はない。

    完璧になる必要もない。

    人間なんだから、失敗もする。

    嫉妬もする。

    腹黒いところだってある。

    それでいい。

    ただ、自分がやると決めたことには一生懸命取り組む。

    失敗したら、失敗したでいい。

    「すみません、やっちゃいました」

    と笑えるくらいでもいい。

    そして、またやればいい。

    そんな人を見ていると、周りはいつの間にか、

    「なんか、この人応援したくなるな」

    と思うものだ。

    それが、愛嬌なのかもしれない。

    人から好かれる人は、必ずしも完璧な人ではない。

    ちょっと不器用で、ちょっと抜けていて、それでも一生懸命な人。

    そんな人には、人間味がある。

    そして、人間味のある人には、自然と人が集まってくる。

    だから、人から好かれたいと思ったとき、

    「どうすれば好かれるだろう?」

    と考えすぎなくてもいいのかもしれない。

    まずは、自分がやるべきことを一生懸命やる。

    その姿を見てくれている人は、きっとどこかにいる。

    そして、いつかその一生懸命さが、

    「この人を応援したい」

    という気持ちにつながる。

    それが、愛嬌というものなのかもしれない。

  • 人から好かれる人は「愛嬌」がある。その正体とは?【人間関係の悩み】

    誰もが、人から好かれたいと思うだろう。

    嫌われたいと思って生きている人は、そう多くない。

    仕事でも、友人関係でも、恋愛でも、周りから好かれている人は何かと得をする。

    応援してもらえる。

    困ったときに助けてもらえる。

    何かに挑戦するとき、「あの人なら頑張ってほしい」と思ってもらえる。

    では、人から好かれ、応援してもらえる人になるためには、どうすればいいのだろうか。

    夜の世界では、それがもっと分かりやすい。

    キャストは、お客様から好かれなければ指名につながらない。

    もちろん、見た目や会話、サービスなど、いろいろな要素がある。

    でも、長く指名される人や、周りから応援される人には、ある共通点がある。

    愛嬌だ。

    愛嬌って結局何なのか?

    「愛嬌」という言葉は、誰でも一度くらい聞いたことがあると思う。

    「あの子は愛嬌がある」

    「あの人は愛嬌がない」

    なんとなく意味は分かる。

    でも、「じゃあ具体的に何をすれば愛嬌がある人になれるの?」と聞かれると、意外と答えられない。

    みんな、なんとなくニュアンスで使っている。

    そこで辞書を調べてみる。

    愛嬌には、にこやかで可愛らしいこと、ひょうきんで憎めないこと、相手を喜ばせるような言動などの意味がある。

    ここで面白いのが、

    「ひょうきんで、憎めない」

    という部分だ。

    つまり、愛嬌のある人というのは、必ずしも完璧な人ではない。

    ちょっと失敗する。

    ちょっと抜けている。

    ちょっと生意気。

    でも、なぜか憎めない。

    そういう人だ。

    失敗しても「応援したい」と思われる

    失敗しても「応援したい」と思われる

    愛嬌を考えるうえで、ここが一番大事なんじゃないかと思う。

    人から好かれる人は、失敗しない人ではない。

    むしろ、失敗した姿さえも「なんか可愛いな」「頑張ってるから応援してあげたいな」と思ってもらえる人なのではないだろうか。

    例えば、幼稚園児が運動会のかけっこのために、何日も一生懸命練習していたとする。

    そして本番。

    スタートして、一生懸命走って、ゴールを目指す。

    ところが途中で転んでしまった。

    それを見て、

    「なんで転んだんだ」

    「ちゃんと走れよ」

    と責める人は、ほとんどいないだろう。

    むしろ、

    「頑張れ!」

    「あと少し!」

    と応援したくなる。

    転んだことよりも、そこまで一生懸命やってきたことを知っているからだ。

    逆に、何も練習せず、当日も適当に走って転んだとしたらどうだろう。

    同じ「転ぶ」という失敗でも、受け取られ方はまったく違う。

    ここに、愛嬌の正体があるような気がする。

    一生懸命にやること

    愛嬌を身につけるために、笑顔の練習をしたり、話し方を変えたりすることもできる。

    でも、それだけではない。

    もっと根本的なところにあるのは、

    一生懸命やること。

    そして、

    その一生懸命さが相手に伝わっていること。

    これが大事なんだと思う。

    一生懸命やっている人が失敗すると、

    「残念だったな」

    で終わらない。

    「次は頑張れ」

    「手伝ってやろうか」

    「もう一回やってみよう」

    と、周りの人が手を差し伸べたくなる。

    それは、その人が完璧だからではない。

    むしろ、完璧じゃないからこそ応援したくなる。

    夜の世界では、これがよく見える

    夜の世界で仕事をしていると、いろいろな人を見る。

    キャストもそうだ。

    仕事ができる人もいれば、不器用な人もいる。

    最初から何でもできる人もいれば、失敗ばかりする人もいる。

    でも、不器用でも一生懸命やっている人には、周りが手を貸す。

    「あの子、頑張ってるから」

    そう言って応援してくれるお客様もいる。

    逆に、どれだけ器用でも、適当に仕事をしている人には、なかなか人がついてこない。

    結局、人は能力だけを見ているわけではない。

    「この人を応援したい」と思えるかどうか。

    そこが大きい。

    愛嬌は「媚びること」ではない

    愛嬌は「媚びること」ではない

    ここは間違えやすいところだ。

    人から好かれたいからといって、誰にでも媚びればいいわけではない。

    相手の顔色ばかり見る。

    何でも「はい」と言う。

    嫌われないように、自分を作る。

    それでは疲れてしまう。

    そして、長く続かない。

    愛嬌というのは、相手に好かれるためのテクニックというより、その人の人間味から自然に出てくるものなのだと思う。

    少しくらい失敗する。

    少しくらい抜けている。

    それでも一生懸命やっている。

    そんな姿を見たとき、人はその人を応援したくなる。

    報われなくても、一生懸命やる

    もちろん、一生懸命やったからといって、必ず報われるわけではない。

    頑張っても評価されないことはある。

    誰にも気づかれないこともある。

    応援してほしいと思って頑張ったのに、誰からも応援されないことだってある。

    でも、それでもいい。

    前の記事でも書いたように、最後は自分の中にあるポリシーや美学の問題だと思う。

    自分が「こうする」と決めたからやる。

    誰かに褒められるためではない。

    誰かに認めてもらうためでもない。

    自分の中のボーダーや美学に従って、

    「これはやる」

    と決めたからやる。

    それなら、誰にも気づかれなくても迷う必要はない。

    そのまま進めばいい。

    一生懸命な人には、自然と人が集まる

    一生懸命な人には、自然と人が集まる

    人から好かれるために、無理に「いい人」になる必要はない。

    完璧になる必要もない。

    人間なんだから、失敗もする。

    嫉妬もする。

    腹黒いところだってある。

    それでいい。

    ただ、自分がやると決めたことには一生懸命取り組む。

    失敗したら、失敗したでいい。

    「すみません、やっちゃいました」

    と笑えるくらいでもいい。

    そして、またやればいい。

    そんな人を見ていると、周りはいつの間にか、

    「なんか、この人応援したくなるな」

    と思うものだ。

    それが、愛嬌なのかもしれない。

    人から好かれる人は、必ずしも完璧な人ではない。

    ちょっと不器用で、ちょっと抜けていて、それでも一生懸命な人。

    そんな人には、人間味がある。

    そして、人間味のある人には、自然と人が集まってくる。

    だから、人から好かれたいと思ったとき、

    「どうすれば好かれるだろう?」

    と考えすぎなくてもいいのかもしれない。

    まずは、自分がやるべきことを一生懸命やる。

    その姿を見てくれている人は、きっとどこかにいる。

    そして、いつかその一生懸命さが、

    「この人を応援したい」

    という気持ちにつながる。

    それが、愛嬌というものなのかもしれない。